呉服屋の息子がなぜ仏教講師に 2
小学生の頃から、夢が見つからずに、
悩んでいた私ですが、
世話焼きな両親の血を受け継いでいた為か、
人の為に何かをしたいという気持ちは強く持っていました。
クラスの人で、なかなか周りと馴染めない人がいたり、
浮いている人がいると、
そういう友達が気になって声をかけたりしていました。
そういう事をしていた為に、
誰とでも基本的には仲良かったです。
誰とでも仲が良いのは、聞こえがいいですが、
広く浅い付き合いだった為、
少人数のグループで班を作るときは、
漏れてしまう事がしばしばでした。
周りの人が笑顔になれば、
少々仕方がないかなと、
自分に言い聞かせていました。
そんなある時に、
ある友人から「お前のやっていることって偽善だよね」
と言われ、衝撃を受けました。
冗談の様に言われた言葉ですが、
的を射た言葉だったからです。
よくよく自分の心を振り返ると、
周りの人の為にやっているつもりでも、
「これをすれば、みんなからの評価があがるだろう」
「あの人から気に入ってもらえるだろう」
と思える事はやりました。
しかし、
「苦労の割には、あまりみんなからの評価は期待できないな」
「あの人からあまり認めてもらえないな」
と感じるものは、やらなかったからです。
そんな損得勘定で動いている自分の心の醜さに驚き、
小学校高学年のときは、一時、友達との距離をおいたこともありました。
人の為になることをやりたい、
そんな事も、本心は、自分の為ではないか、と
感じて、ますます夢がわからなくなっていきました。