呉服屋の息子が仏教講師に!前向きマインドを🎁

どんな人にも前向きマインドをセットしてもらえるブログにします

未来を築くコミュニティを作りたい!

今回、ブログを立ち上げたのは、

若者を応援したい、一緒に未来を築いていきたい

という志からです。

 

今までに色々な大学生と接し、

社会人と接し、色々な会話をしてきました。

 

のべ人数は全く関心がなかったので、

数えていませんが、

大学卒業してから5年間で、

500人は越えています。

 

特に学生と接していて感じることが、

ポテンシャルは高いのに、

自分に自信がなく

最初から何もできないと、

諦めている人が多いという事です。

 

また、このままではいけないと思いながらも、

何をやっていけばいいかわからない、

見つけられずに、くすぶっている人が多い事です。

 

からしてみれば、

みんな羨ましい才能を持っていて、

学ばせていただくばかりなのに、

それを活かしきれていないのです。

 

こんなにももったいないこと、

社会的損失はない

痛感しています。

 

これも自己肯定感の低さから来るのかなと

思っていますが、

それらの人を支えて、

才能を十二分に発揮してもらいたい。

 

しかし、これには、

一人の力では難しく、

場の力がいると、

この五年間で痛切に知らされました。

 

だから、

互いに高め合い、刺激し合い、

だけれども居心地がいい、

そんなコミュニティを作りたいと思っています。

 

このコミュニティではアクティブな人もいれば、

ゆっくりなペースな人がいてもいいと思っています。

生きづらさを感じている人も是非参加してもらいたいと思っています。

 

色々な人が集まるからこそ、

新しいものが生まれると信じています。

 

一緒に新しい未来を切り開いてみませんか?

夢に向かって努力する

尊敬する先輩がオススメしてくれた、

ウェブライティング、ウェブマーケティングの本を読んで勉強中です。

 

このままではいけない気がするけれど、

何をしたらいいか分からない。

 

そんな若者を応援したいと、

ブログを立ち上げました。

 

 しかし、ただ声を張り上げても、

多くの人には届かないので、

どうすれば、多くの人に知ってもらえるのか、 

ウェブライティング、ウェブマーケティングを勉強する必要があると思いました。

 

早速、オススメの本3冊を、 一気に購入しました。 

 

ちなみにオススメの本として紹介されたものが、

 『沈黙のWebライティング: Webマーケッターボーンの激闘』

 『新しい文章力の教室 苦手を得意に変えるナタリー式トレーニング』

 『沈黙のWebマーケティングWebマーケッター ボーンの逆襲』

 

気持ちだけは誰にも負けないつもりですが、 

私の夢を実現するためには、 

一人では時間がかかるので、 

まず同志となる人を見つけなければと思っています。 

 

同志をみつけるためにも、 

もう少し自分の思いを、 

書いていかねばならないと思っていますので、 

少しずつそこの部分も書いていきたいと思っています。 

 

小説

書ける人、書いたことがある人、 

そこらへんのノウハウがある人あれば、 

ご一報いただけると、 ありがたいです。 

 

小説風にして、 情報発信したいとも考えているからです。 

 

未来を築くにあたり、

考えた方がいいこと、 

知っておいた方がいいことを、 

発信していきますが、 

単純な発信では上から目線になってしまい、 

受け取りにくいのではないかと思っています。 

 

それを小説風にして、 

確かにそうかもな、

と受け取ってもらいやすいのではないかと考えているからです。 

 

試行錯誤中なので、 

よき知恵をお貸して下される方あれば、 

よろしくお願いいたします。

事実は意外に見えていない

最近話題の

FACTFULNESS(ファクトフルネス)10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣』

を読んでいます。

 

自分たちが思っている以上に、

世界の認識が、現実とずれていることを知りました。

 

しかし、これはただ勉強不足だからという、

安易な理由ではありません。

 

そして、頭のよしあしとも違います。

 

もっと根っこが深いところにあることを知りました。

 

自分の認識をものさしとするのではなく、

事実から物事をみる

この大切さを学びました。

 

まだ読み始めなので、

どんどん学んでいきたいと思います。

呉服屋の息子がなぜ仏教講師に 終

人生かけられるものを見つける為には、

自分の視野を広げることだと思って、

大学時代には、留学をしたり、

色々な人と意見を交わしたいと思っていました。

 

そんな事を考えて、大学入学してから、

たまたま仏教を学ぶ機会がありました。

 

仏教を学んでいく内に、

人生について、

自分とは何か、

様々な事を学び、

自分の考えも深めていく事ができました。

 

そして、色々と悩んでいく中で、

自分の抱えていた疑問が、

氷解していきました。

 

そんな自分の経験を通して、

自分と同じ様に、

何かやりたい事が見つからない、

このままではいけないと思うという気持ちを

抱える人を、サポートしたいと思うようになりました。

 

そういう人の力になることが、

自分自身が今まで色々な方に支えてもらった恩返しにもなり、

自分のできる社会貢献と思っています。

 

未熟で、無学な私ではありますので、

自分だけできる事は限られているので、

私の信念に共感してくれる人があれば、

一緒に色々とやって頂きたいと思い、

今回、この様なブログを立ち上げました。

 

少しでも気になる方あれば、

ご一報いただけると幸いです。

知らずに持っている条件

電通の在日外国人の人権啓蒙のポスターに

 

国籍って「打ち明ける」ものなんだろうか

 

というコピーがあるそうです。(実物が見つからなかったので、知っている方は教えてくださいませ)

 

最近、このコピーを書いたコピーライターに直接話を聞く機会が

ありました。

 

美談で、在日2世、3世であることを隠していたが、

国籍を打ち明け、

「言いにくいことをよく打ち明けてくれた。

 だけど、国籍なんか関係ないさ」

という様な話を度々聞かれます。

 

しかし、「打ち明ける」という事は、

何か後ろめたいものがあるという言葉遣いであり、

ここに既に差別意識があるのではないか、

という啓蒙するコピーです。

 

国籍を気にする事はないと言っていた方でも、

無自覚に気にしていることがあるのではないかという、

このコピーライターの話でした。

 

何がいいか、悪いかはいえませんが、

これは善い、悪いと思っていて、

知らぬ間にこうでなければいけないという様な

条件を持って、差別意識が生まれているかもしれないと、

危ぶさを感じました。

呉服屋の息子がなぜ仏教講師に 3

中学に入ってからは、バスケ部に入りました。

 

体を動かす事が好きで、

特に球技が好きだったからでした。

 

人数が少ないこともあり、

そこまでの苦労もなく、

自分たちの代になってレギュラーに入りました。

 

接触プレーはあまり向いていないことに気がついて、

高校ではバレーボール部に入りました。

 

ここでもあまり人数が多くないこともあり、

レギュラーに入る事ができました。

 

部活に対しては、サボることもなく、

真面目にやっていましたが、

心の中で、「才能がないからプロになれる訳でもない」

「3年になれば引退しなければならないんだから」

という声が響き、

身が入らずにいました。

 

周りは次の大会に向けて、努力している中で、

自分だけが一生懸命やりたいと思いながらも、

心はさめており、ギャップを感じていました。

 

そんな小、中、高校生活ではありましたが、

周りの人には恵まれて、

尊敬できる先生や、頼もしい友達に囲まれた事は、

本当にありがたかったと思っています。

 

このまま社会に出たら、

仕事だけの人生で終わってしまう、

仕事も大事だとは思うけれど、

仕事だけが人生ならば、

定年したら、自分の人生は終わり?

とも思いました。

 

それはどこか違う様な気がして、

大学時代に、自分の人生をかけられる夢をみつけようと、

心に決めて、大学に進学しました。

呉服屋の息子がなぜ仏教講師に 2

小学生の頃から、夢が見つからずに、

悩んでいた私ですが、

世話焼きな両親の血を受け継いでいた為か、

人の為に何かをしたいという気持ちは強く持っていました。

 

クラスの人で、なかなか周りと馴染めない人がいたり、

浮いている人がいると、

そういう友達が気になって声をかけたりしていました。

 

そういう事をしていた為に、

誰とでも基本的には仲良かったです。

 

誰とでも仲が良いのは、聞こえがいいですが、

広く浅い付き合いだった為、

少人数のグループで班を作るときは、

漏れてしまう事がしばしばでした。

 

周りの人が笑顔になれば、

少々仕方がないかなと、

自分に言い聞かせていました。

 

そんなある時に、

ある友人から「お前のやっていることって偽善だよね」

と言われ、衝撃を受けました。

 

冗談の様に言われた言葉ですが、

的を射た言葉だったからです。

 

よくよく自分の心を振り返ると、

周りの人の為にやっているつもりでも、

「これをすれば、みんなからの評価があがるだろう」

「あの人から気に入ってもらえるだろう」

と思える事はやりました。

 

しかし、

「苦労の割には、あまりみんなからの評価は期待できないな」

「あの人からあまり認めてもらえないな」

と感じるものは、やらなかったからです。

 

そんな損得勘定で動いている自分の心の醜さに驚き、

小学校高学年のときは、一時、友達との距離をおいたこともありました。

 

人の為になることをやりたい、

そんな事も、本心は、自分の為ではないか、と

感じて、ますます夢がわからなくなっていきました。