呉服屋の息子が仏教講師に!前向きマインドを🎁

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なぜ仏教の講師になったのか 2

なぜ仏教を本格的に学ぼうと思ったのかについて、

続けて、書きたいと思います。

 

「呉服屋の息子がなぜ仏教講師に 2」にも書きましたが、

友達のために、何かをやることが好きでしたが、

結局は損得勘定でやっていたことに気が付き、

己の心の醜さを知らされました。

 

醜い心は、

人に言うことができず、

心の奥底に封印し、

見ない様にしていました。

 

中学、高校は部活動に励んでいたこともあり、

そういう心のことを忘れていたのですが、

大学に入り、

仏教の話を聞いて、

思い起こされました。

 

表面上はよいことをやっていても、

心の中は、醜いものを抱えている。

仏教の言葉では、これを「雑毒の善」と言われています。

 

毒のまじった善ということです。

善は善ですから、やらないよりもやった方がいいのですが、

そのやった善には毒がまじっている。

この毒と言われているのは、見返り心のことです。

 

これだけやったのだから、

お礼を言われたい、

お返しを期待する心です。

 

この話を聞いて、

なんで自分の心を言い当てられるのだろうかと、

驚き、人間の心を深く教えられていることに

感銘を受けて、

これはもっと学んでみたいと思い、

より深く学ぶ様になりました。

 

そして、そう学んでいく中で、

小さな頃からの悩みであった、

人生かけてなすべきことは何なのか

これが仏教に教えられていると聞いて、

一層驚きを深めました。

 

しかし、

仏教も宗教の一つであり、

サリン事件のことも知っていたので、

どっぷりとハマっていくのは、大丈夫だろうかと、

頭の隅にブレーキをかけながら、

学び続けていきました。

 

人生かけてなすべきことになりうるものは、

自分なりに条件を設けて、

それに反しないかどうかも、

検証していきました。

 

そのことについては、

また書いていきます。