なぜ仏教の講師になったのか 3
小さな頃から、
好奇心旺盛で色々と考える癖がありました。
なんでなめくじに塩をかけると、
消えてしまうのだろうか。
なんで嫌いなことでもやらなければならないのか。
青という色は、日本語ではアオといって、
英語ではブルーというのはなぜか。
なぜ生き物はこの様な進化をしてきたのか。
など、目についたものは、
何でも気になり、調べたり、
考えていました。
調べてもわからないこともありますが、
だいたいの疑問は、説明されているものばかりで、
それを知ることがとても楽しかったです。
そういう習慣があった為、
結果には、必ず原因がある(根拠のない確信)を持っていました。
だからこそ、
あらゆることが論理的に説明ができる、
説明ができないものでも、
科学が進歩すれば、
解明できるだろうと思っていました。
その為、
論理的に説明できるものは、
正しいという価値観を持っていました。
その点、
仏教は宗教というジャンルでくくられていますが、
とても論理的で、教えられていることは、
どれも繋がりがあるものでありました。
それもそのはずで、
仏教の教えの根っこには、
因果律があるからでした。
原因があれば必ず結果が起きる。
原因なく起きる結果は絶対にないというものでした。
原因がわからないことはあるけれど、
それは複雑な因縁が絡み合っているだけで。
原因がないこととは違う、というものでした。
風が吹けば桶屋が儲かるという言葉もあり、
私の中で、
この説明は反論の余地がなく、
確かにそうだなと納得しました。
しかし、その一方で、
調子のいいことを言って、
丸め込まれているのではないかという感触が
拭えず、納得しつつも、
まだ一歩ひいていました。
また、続きます。